観光地案内








ブエノスアイレス BUENOS AIRES   
  


ブエノスアイレス情報

歴史概要
アルゼンチン。生い立ち:
14921012日、コロンブス、ついにアメリカへ上陸。時は流れ、1516年、 スペイン人フアン・ディアス・デ・ソリスが率いる探検隊が、Mar Dulce(略=真水の海)を発見! この真水の海は現在ラプラタ川と呼ばれている。
しかし、この探検隊が発見した地域は 、現在のウルグアイ側岸であった。

 

1534年、スペインの富豪貴族ペドロ・デ・メンドサが当時の国王カルロス5世に実費によるアメリカ航海を申請した。航海の経験が少なかったメンドサはポルトガル人冒険野郎達にラプラタ河地域を先取りされるのを恐れていた。しかし、目的はこの地域のポルトガル進出に歯止めをかける為だけではなかった。彼の持病であった性病の特効薬を見つけるのが目的だったとも言われている。
15362月、ラプラタ河へ到着。ラプラタ河支流Riachuelo 沖に Santa María del Buen Ayre. 砦を設けた。現在のブエノスアイレスの名前の縁、そしてブエノスアイレスの歴史の第一歩がここに築かれた。しかし、メンドサの率いる探検隊は食料不足と原住民達の迫害により、とうとう5年後に撤退せざるを得なかった。また持病の為、メンドサの健康は著しく衰えていたが、側近達は他の地方探検に出発した。
1537年、メンドサの側近フアン・サラサル・デ・エスピノサはラプラタ河区域最初の永住地、アスンシオン(現在、パラグアイの首都)を設立した。アスンシオンを基点としたスペイン人は徐々にパラナ川とパラグアイ川の間にあった地域を制覇した。又、この領土の自然条件が非常によく、スペインから持ってきた少数の家畜が急増した事も安定した牧畜経済を可能にした。

現在のアルゼンチン領土で最初の永住地となる Santiago del Estero 1553年、ペルーから南下したスペイン人開拓者達により設立された。
1573年にコルドバとサンタフェが設立された。ブエノスアイレスの2回目(最終的)設立はフアン・デ・ガライにより1580年に実現された。
1620年、全ラプラタ河地域の総務管理はペルー副王政権下に入った。スペインの経済保護政策の為、17世紀のこの地域の開発はあまり進まなかった。ただし、ブエノスアイレスは輸入品の取引センターになった為、次第に拡張し、18世紀の半ばにはその人口は20.000人にも達した。1776年、現在のアルゼンチン、ボリビア、パラグアイとウルグアイが占める領土はペルー管轄から外され、ラプラタ河副王政権が設けられた。大西洋航海を通じて一番、スペインとの連絡が容易であったブエノスアイレスがその首都になり、急激な発展をしてゆく。

だが、植民地行政に参加する機会を与えられずにいた、クリオージョ(アメリカで生まれたスペイン人の子孫)達の不満の声が高まる。1806年―1807年、2度にわたり、ブエノスアイレスは英国軍の侵入を受けるが、クリオージョ達が大活躍したおかげで侵略は失敗に終わった。しかし、活躍したのはクリオージョ軍だけではなかった!女、子供、市民全員が屋根の上から石や煮たぎった油を敵に浴びせた。この2回の戦いで大活躍した、クリオージョ達は自信をつけた。今でもこの戦の弾痕、利用した地下道の一部等は見る事が出来る。また、母国スペインへのナポレオン侵略に伴う混乱を機会に、独立熱が高まる。
* 1810525日(革命記念日)、ブエノスアイレス市は、ラプラタ副王政権を廃止する。そして、小雨の降るこの日、クリオージョ達は初の政権獲得に歓声をあげながらカビルド(当時の市会―現在もこの建物は保存されている)前の広場に集まった。しかし、副王政権を廃止したにもかかわらず、クリオージョ新政権は、スペイン国王、フェルナンド VII 世に忠実を誓う。

 

* 181679日(独立宣言記念日)。全国殆どの代表者がツクマン市に集合し、リオ・デ・ラ・プラタ合衆国の名の元に独立を宣言、この日からスペインと本格的な戦争が始まる。この独立戦争を率いたのが、サンマルティン将軍である。この将軍はアルゼンチンを開放すると1818年にチリ、1821年はペルー(ベネズエラのボリーバル将軍と共に)の開放を手伝った、為、南米の解放の父と言われている。
*
後、ヨーロッパ(特にスペインとイタリア)からの移民が急増し、アルゼンチン独特の文化が生まれる。

 

 

現在のブエノスアイレス
緑の町。現在のブエノスアイレス
ブエノスアイレス市人口:約 278
ブエノスアイレス市面積:約
200Km²

ロラ・モラと言う女性彫刻家がいた。ブエノスアイレス市、ラプラタ河岸にある彫刻は、彼女の作品が多い。多くの作品が、北東、つまり、ヨーロッパ方面を見て立てられている。顔、もしくは、両手は、はるかかなたの故郷へ向かって差し伸べられている。その表情は、なぜか、悲しく、哀愁を浮かべているようだ。はるか、かなたの故郷にあるのだろうか。モラの心は、そのまま、ヨーロッパの移民の心だ。故郷を捨てたはずのヨーロッパ移民達は、この豊かな大地で汗をながし、大農園(エスタンシア)主になって行く。そして、息子達は、ヨーロッパの、大学に留学させていたのだ。ブエノスアイレスは、町作りの真っ最中であった。その為、大学は、建築科に進むものが多かったそうだ。卒業後、故郷へ、帰国したこの建築家達は、どんどんヨーロッパ風の町にブエノスアイレスを作りあげて行く。母国を思う移民達と、その子孫により、ここに南米のパリを、作り上げた。

特にアルゼンチンの歴史の舞台、月広場 (Plaza de Mayo) から、国会議事堂を結ぶ一直線の通り、月大通り (Av. de Mayo), Marcelo T. de Alvear 通りなどは、ヨーロッパかな? と錯覚します。

それでは、ブエノスアイレスの見所を、ご紹介します。この月広場、国会議事堂の辺りはー

 

モンセラ区、サンニコラス区
月広場 (Plaza de Mayo) この広場の周りには
大統領府
(Casa Rosada) ピンク色の建物。中央玄関には、近衛兵が護衛しています。

この建物の色には、色々な説があります。さてどれが正しいのか、ブエノスアイレスにてガイドへお確かめを。そのピンクハウスの裏側には、やはり、コロンブス像が、ヨーロッパへ両手を広げて立っています。
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国会議事堂 国会議事堂前の広場には、コンドルと天使をあしらった
"A los Dos Congresos" 記念碑、及び、素敵な噴水が見られます。アルゼンチンの 0 基点はこの広場にあります。考える人、ロダンの像(複製)もあります。ブエノスアイレス、初めての地下鉄(A線)もこの5月通りの地下を走っています。
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アルゼンチン国立銀行
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カテデラル メトロポリタナ(大聖堂)。この大聖堂には、南米解放の父サン・マルティン将軍の遺体が、いっしょに戦った無名戦士と共に眠っています。しかし、大聖堂の正面に向かい、右手の半円形に引っ込んだ所に遺体が安置されている理由は、ガイドへ確かめてください
?
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カビルド このカビルドの建物がいかに重要な建物であるか! 1810525日、5月革命がここで決議されたのです。現在、博物館になっています。
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光明の家
(Manzana de las luces) 住所: Perú 272。スペイン植民地時代に、イエズ会の神父達によって建設された、教会 (Iglesia de San Ignacio) が、光明の家の始まり。このワンブロックが、アルゼンチン文化の出発地点といってもけっして間違ってはいません。
例:最初の新聞が発行された。最初の大学、図書館などがこの地で開かれた。
18世紀に掘られたと思われるトンネルが発見された。このトンネルは、ピンクハウス、ブエノスアイレス港、サンイグナシオ教会、など色々なところとつながっているそうです。(コメント:見学可能。歴史に興味のある方は、おもしろいかも知れないが、トンネルの入り口のみ見学できます)
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カフェートルトーニ*
5月通りに面している、1858年より営業している喫茶店。週末の夜は、タンゴの生演奏がありタンゴ好きな人は、ぜひ訪れたいところです。


 

サン・ニコラス区


世界で2番目に幅の広い79日通りに、コリエンテス通りが交差する。そのど真ん中にどうどうと建っているオべりスコ塔、1936年にブエノスアイレス誕生400年を記念して立てられた塔。旅行者には、目印になってとても便利。この79日通りの並木は、ジャカランダ、アカシアが多い。1-7月頃は、ジャカランダが薄紫の花を咲かせます。黄色いアカシアの花が咲く10-11月頃は、道も黄色の絨毯のようです。
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コロン劇場―世界三大劇場。ぜひ、時間を見つけて見学したい所。季節により、見学時間が変更されるので、確認してから行かれるといいでしょう。
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フロリダ歩行者天国―デパート、レストラン、カフェ、などエレガントなお店で埋め尽くされていてショッピングに便利な所です。また、ぶらり歩きも面白く、いとしむようにギターを抱えアルゼンチン民謡を聞かせてくれるガウチョ姿の男、見事な曲線美でタンゴを踊っている二人、このような出会いも嬉しいフロリダ通りです。
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プエルトマデーロ:ブエノスアイレスは港より発展していった町です。その為、港には荷物の積み降ろし用の倉庫が数多く立てられていた。しかし、近年、輸送方法が変わった為、港の必要性が後退しました。世界中の専門機関が注目した、港地区の再開発を最初に具体化したのがこの
Puerto Madero です。古い倉庫等をリサイクルして近代的な高級レストランーオフィス街につくりあげました。海鮮料理、パスタ、焼肉レストラン、パブ等もあるので、素晴らしいブエノスアイレスの夜をお楽しみください。
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コリエンテス通りー
"La calle que nunca duerme" 決して眠らぬ道と呼ばれている。その言葉の通り、朝方までレストラン、カフェーなどが開いている。特に、金、土曜日の夜などにぎやかです。ポルテーニョ(ブエノスアイレス生まれの人を言う略)は、港っ子ですが、夜が好きな国民です。このコリエンテス通りの地下には、地下鉄 ”Bが走っている。”Uruguay の入り口には、タンゴキヨスクがありタンゴファンは、ぜひ訪れてみたい所です。


 

サンテルモ区
   
モンセラ区には裕福な人々が、そして、サンテルモ区には、その日暮らしの人々が住んでいた。

     1870
年、この町を、黄熱病が襲った。その為、裕福な人々は新しい住まいを求め、北方面へ移動する。経済的余裕がない人々がそのまま、この区やボカ区に留まる。
   
その殆どが港や屠殺場の労働者だった。移民の多くを占めたイタリア人は特有のダンディーぶりを発揮し、 夜になると荒くれ野郎どもは、酒を片手に女達と踊りあかしたそうだ。


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ドレーゴ広場 (Humberto 1 Defensa 街)古い石畳の道。いかにもタンゴの故郷と言う感じの町です。日曜はこのドレーゴ広場でノミ市が開かれます。古ぼけた喫茶点でカフェーを飲みながらくつろぐのも楽しい。街角からバンドネオンが聞こえてきます。広場では、アンティーク、アクセサリー、陶器などを売っている出店でいっぱいです。さて、本物か、偽物か?見分けるのは貴方の鑑定能力次第。買い求めたい品物があったら、ポルテーニョ達と値引きのネゴ開始。日曜の出店以外にきちっと店を構えている店もこのあたりは結構あるので、平日も行けます。この区はタンゴハウスが多いです。


 

ボカ区 1880年から1930年にかけ、多くの移民がこの地を踏んだ。
   
ボカ港はブエノスアイレスに最初に作られた港だった。
   
労働者達は船を塗った残りのペンキで家を塗ったので、このあたりの家はちぐはぐな原色(赤、緑、青、黄)だ。この鮮やかな色彩がボカのシンボルになっている。


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ボカ・ジュニアーズ、サッカークラブのホームスタジアム(愛称:ボンボネラ)ボカは Mitad + 1(略:半数+1)と言われるほど、アルゼンチンでは一番、サポーターが多く、あの有名なマラドーナが活躍したクラブでもあります。
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カミニート(小道):フアンデデイオスフィリベルト作のこの歌は別れた恋人への熱い想いをこめたもので、タンゴファンなら誰でも知っています。このカミニートは国の文化資産に指定され、正式な呼び方はカミニート屋外博物館。カラフルな家並み前で無名の画家達が自分の絵を売っています。老人の弾くバンドネオンはせつなく、悲しい。


 

レコレータ区


この区はなにもかも高級。この辺りを散歩する犬さえ、頭をキュッと持ち上げて歩いている様に見えます。落ち着いたパリの街を想わせる様なマンション、ブチィック、レストラン、カフェー店。その優雅な建物の中に、調和よく広がる公園。レコレータに住んでいると言うのはポルテーニョの一種の優越感。お洒落なカフェーで、熱いコーヒーを飲みながら、道行く人々を眺めているだけでも、結構楽しいです。着こなしが抜群にすてきだ。
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レコレータ墓地:
1822年に開設されたこの墓地は、ブエノスアイレスで一番古く、10.000 m² の広さ。この墓地の70以上の納骨堂が国の文化財に指定されています。もちろん、この国一番の高級墓地です。歩道はきれいに区分けされ、名門の紋章なども大理石で作られており、まるで、ヨーロッパの小人の町では? と錯覚しそうになります。ミュージカル、エビータで世界に知られている、マリア・エバ・ドゥアルテ・デベロンのお墓もここにあります。この墓地続きのアルベアル公園では、週末に手作りの民芸品市が立ち並んでいます。

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その他の見どころ ピラール聖堂 国立美術館


 

パレルモ区


この区の50%以上の面積はパレルモ公園が占めています。この公園内には電車が走り、大通りが貫き、ディスコ、レストラン、ゴルフ場、釣りクラブ、ヨットハーバー、国内空港まであります。さすが、移民の国、国の名前が付いた広場がいたる所にあります。この公園はポルテーニョ達の憩いの場所でもあります。サイクリング用の小道もあり、夏は、時間を惜しむように、我先にと、日光浴を楽しむ姿が見える。勿論、皆、水着です。東京に例えると代々木公園で、水着をきて寝そべっているのと同じなのです。南米ならでの風景。コスタネーラ通りに沿い、ラプラタ河が見えます。見えない対岸はウルグアイ。この時点の川幅は約、50Km。ほとんどの観光客には、これが河だと言っても中々信じてくれません。
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日本庭園:在亜日本人社会がブエノス市に贈った庭園。中には日本食レストランもあります。
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Monumento a la Carta Magna y Cuatro Regiones Argentinas(通常、スペイン人モニュメント):パレルモ公園のど真ん中の二つの大通りの交差点にあるこの記念塔は5月革命を記念して在亜スペイン人社会が1910 年、ブエノスアイレス市に贈呈したもの。高さ、25m. の堂々とした、モニュメント。
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動物園と植物園も上記モニュメント近くにあります。


 

レティーロ区


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南米開放の父、サンマルティン将軍広場:ブエノスアイレスで一番美しいと言われています。真ん中に堂々とサンマルティン将軍の銅像が、チリ方面を向いて建てられています。この銅像の辺りから坂を降りて行くと、Av. Lenadro N. Alem 通りに出ます。丘を背に、マルビーナス戦争で命を落とした、人々のモニュメントがあります。
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イギリス塔
(Torre Monumental): 在亜イギリス人社会が贈呈した時計塔。 Retiro 駅とシェラトンホテルの間にあります。
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レティーロ駅
(Estación Retiro): 昔、イギリス人が建設した鉄道網は全て、地方とブエノスアイレスを結んでいますが、この駅は北方面の窓口。東京で言えば、上野駅ですね。伝統的なイギリス鉄道建築物。

 

 

 

 

 



AEROPUERTOS - 空港
ブエノスアイレス:空港市内間の移動
かなり海外旅行の経験がある方でも初めての南米旅行と言うとやはり、空港から市内の移動には多少の心配は付き物なので、安全な方法を幾つかご紹介します。

 

A) 国際空港 MINISTRO PISTARINI (通常エセイサ空港)市内までは約34Km
   
高速道路が込んでいない場合はセンターのホテルまで
40分ていど。
   
途中、高速料金支払い所が
2カ所ある。
   
多くの日本人観光客(ビジネスマンも)は日本語(漢字)
   
で書いた出迎え用ネームボードを見るとほっとするそうです。   


a) 多少割高になっても日本語の観光ガイド付きの専用サービスが一番安心。移動中に色々注意事項等を聞かせてくれるし、両替情報、ショッピング、ホテルのチェックインも手伝ってくれるので助かります。
b) 予算をもっと低くして、しかも安全と言う方には、少々日本語を解する日系人ドライバーによる専用サービス。
c) もっと安くてしかも安全と言う方にはリムジンバスをお勧めします。30分置きに出ているが、ターミナルまで直行。到着ロビーに出る前に切符を購入。
d) もう一つの方法は空港内にカウンターを持っているハイヤー(レミス)を利用する。注意事項:到着ロビーに入った時点でうるさいほどしつこく迫る個人タクシーを利用するのは出来るだけ避けましょう。途中で仲間とグルになって強盗に変身するケースあり。

 

B) 国内空港JORGE NEWBERY (通常、アエロパルケ空港)。
  
市内のラプラタ河岸に近いこの空港はブエノスアイレス市内にあり、センターからは約

   
6Km. で道が空いていれば、15 分以内で着ける場合もある。
  
移動方法は上記
A) と同じ。高速料金支払い所(利用する場合)が1カ所ある。

 

 

 

 

 

 


EXCURSIONES - 観光
ブエノスアイレス市内観光案内

1)
市内観光
主な見所:
ボカ地区(カミニート)
5月広場、大聖堂、国会、コロン劇場(見学は別)、79日通り、レコレータ地区、パレルモ公園。上記コースは通常、半日(約3時間)で周れますが、下記3つの方法をお勧めします:
1-1)
専用車と日本語ガイド。少人数の場合、多少割高にはなりますが、一番詳しい説明を聞く事が出来る以外に、安全面のアドバイス等、親切に教えてくれます。
1-2) 定期観光バス:バイリンガルガイド(スペイン語と英語)による混載サービス。運行日:月曜から土曜日は毎日、午前と午後、1日、2回。日曜日は午後のみ。ピックアップサービス:市内センターの星と5星ホテルは往復ともサービスあり。ガイドはプロで優秀。しかし、2ヶ国語(たまにはポルトガル語でも説明があるので)、あまり詳しい説明を聞く事が出来ない事と、団体なので、自由行動が出来ない事が難点です。
1-3) 日系人ドライバーによる専用サービス:日本語を少々話す日系人ドライバーの専用セダンを貸し切りで自由に好みの観光地を巡る。観光ガイドではないので、詳しい説明を聞く事は出来ませんが、それは事前にガイドブック等で調べておけば、特に不自由はしません。2-3名だとかなり割安になります。終日観光:上記半日コース以外に専用サービスの場合(定期観光は半日コースのみ)、下記箇所を追加する事が出来ます:美術館、タンゴの名歌手カルロスガルデル、その他有名なタンゴの師匠が永眠しているチャカリータ墓地、恐竜博物館、植物園、動物園、等。

2)
ティグレ:ブエノスアイレスから北へ約30Km. の地点にあるデルタ地帯。遊覧船に乗るもよし、川沿いにある小奇麗なレストランで食事をするのもよし、カジノで賭け運を試すのも如何? 船着場周辺には果物市や民芸品市もあります。片道は是非、Tren de la Costa と言う、小さな観光電車を利用する事をお勧めします。レジャーランドもあるので、週末には家族連れで賑わいます。
観光方法:
2-1) 専用車と日本語ガイド:自由がきく事と、なんと言っても安心感。
2-2) 定期観光(スペイン語―英語のバイリンガルガイド):市内センターの4星―5星ホテルからはピックアップサービスあり。バスで Maipú 観光電車ターミナルまで行き、そこから観光電車で San Isidro 駅へ。ここで降りて、教会等を見学した後、また同じバスで、ティグレへ。遊覧船(約1時間のミニクルーズ)に乗った後、バスでブエノスアイレス市へ直行。定期観光運行日:日曜以外は毎日、午後から。
2-3) 日系人ドライバーによる専用観光: 上記コースを日系人ドライバーのセダンでご自由に。

3) FIESTA GAUCHA
(ガウチョ・フィエスタ・ツアー):市内から80 Km. から120Km. 離れた牧場
における終日観光。アルゼンチン名物のアサード(焼肉)食べ放題、ワイン等ドリンクも飲み放題。民謡踊りをみたり、馬に乗ったり、のんびり穏やかな
1日を過ごすには最高のツアー。午前11 時頃から午後 4 時頃まで。
観光方法:毎日営業していない事、(通常、水曜と日曜のみ)距離が遠い事と時間も長いので、専用車と日本語ガイドの場合、グループの場合はあまり割高にはならないので、問題ないですが、個人ツアーの場合は、週
回(水曜と日曜)出ているバイリンガルガイド(スペイン語、英語)付きの定期観光バス利用をお勧めします。主なセンターのホテルからピックアップサービスあります。市内発は 10 時前後、ホテル着は 18 時前後。

4)
牧場宿泊:ブエノスアイレス州には18世紀―19世紀に建てられた、牧場主用の別荘がかなり残っています。中には小さなお城みたいなものもあります。アルゼンチンの歴史に残る名士が住んでいた牧場もあり、中には18世紀当時の家具をそのまま保存しているケースもあります。最近これら別荘を観光用に開放する牧場が増えています。ツアーではないですが、完全に文化生活から離れた自然環境の牧場で 2-3日でも宿泊したいと言う外国人観光客も徐々に増えて来ています。日本人の観光客はまだ少ないですが、20日間以上、アルゼンチン全土観光したが、その内、牧場宿泊が一番、気に入ったと言われる方々もいます。アルゼンチンーパンパスでしか体験出来ないこのオプションは如何でしょう

5)ウルグアイ日帰りツアー:アルゼンチン人とウルグアイ人はサッカーとタンゴに関するライバル意識を除けば、本当に仲のいい兄弟国民と言えます。両国間の交流も国内なみで、ブエノスアイレスからウルグアイには簡単に旅行出来ます。ユネスコから世界文化資産として指定された対岸のコロニアと首都モンテビデオにはラプラタ河を高速フェリーで横断する日帰りツアーが毎日出ています。是非、時間を作って、行ってみましょう。

 

 

 

 

 

<上記情報は、提携先である現地手配会社より提供されています>







イグアス  IGUAZÚ


大自然シンフォニー。イグアス



イグアス伝説
イグアスの滝にはなあーこんな言い伝えがあるそうな。
むかし、むかし、おおむかしのことよ。イグアス川にボイと言う名の大蛇が住んでおってのう、我々の先祖、原住民、グアラニー族は、ボイが暴れんよう、年に一度、美しい乙女を、ボイに捧げておったのじゃあー。
選ばれた乙女は、民族の平和の為に、その美しい姿を、イグアス川へ舞い散らしていったのじゃあー。
この儀式には、この辺りの部落の者や、遠い遠い部落の者まで集まり、それは、それは、悲しくとも厳かな儀式だったそうなー。
ある年、タボロと言う名の立派な若者がこの部落にやってきてのうー。その年、ボイに捧げられるナイビと言う名の乙女に一目惚れしてしもうた。タボロは、ナイビの運命に嘆き、悲しみ、必死に、長老達へ(ナイビを捧げんでくれ!)と、懇願したのじゃが、聞き入れてもらえんかった。インデイオの長老達は、神に等しく、彼等の許しがないかぎり、手も足もだせんかったのじゃあー。
タボロは、どうしてもあきらめることができんでのうー、儀式の一夜前、カヌーに乗り、イグアス川から逃げようとしたのじゃあー。運の悪いことにボイに見つかってしもうた。ボイは、猛烈に怒り狂ってのう、頭を、天に突き上げ、肩ちゅうか、胴ちゅうか、怒らせ、それは、それは、すざましかったそうな。そして、二人が乗ったカヌーを、追い詰め、その巨大な胴と尻尾で、あらんかぎりの力で、イグアス川を、せき止めるように真っ二つに叩いたそうな。叩かれた川はなあー、片一方が地中に深く深く沈んで行き、巨大な断壁を作り、今の形になったと言われているのじゃあー。
荒れ狂う川にカヌーは、なすすべもなく、木の葉のように身を任すのみであったそうな。こうして、ボイに捕らえられた、タボロは、イグアス川の小島の木々に、ナイビの美しい黒髪は、滝の水の流れに変身させられてしもうたのじゃあー。それでも、あきたらんボイは、二人が会うことができんよう、今、悪魔の喉笛と言われておる滝壷にじっと、身を沈め、今でも目を光らし、見張っているそうじゃあー。
しかしなあー、私の愛する孫達よ。よーく聞くがいいー。この世の中には、神様は、おられるのじゃあー。晴れた日のイグアスは、それは、それは、美しい虹の橋をかけ、二人が会えるようにしてくださっているのよ。愛の絆は、強いもんじゃのうー。お前達も、このイグアスの自然を守り、愛し、ここを、訪れてくださる、世界の人々に自然の美しさ、愛の尊さを語って差し上げるのじゃあー。


さあーこれからは、現在のイグアスへご案内
うなるような水の音。この音を何に例えましょう。まさしく
"大自然シンフォニー"です。原住民の言葉で、イグアスとは、イ=水、グアス=大きな、"壮大な水"と言う意味です。まさにその通り。あのナイヤガラの滝も怖気づく絶讃の滝です!  アルゼンチン及びブラジルのカ国にまたがる、大小 300 あまりの滝。幅約Km落差約70m。晴れた日には、さまざまな角度より、虹のショーが始まります。ちなみにこの辺りは、紫水晶の鉱山があります。
この地方には、原住民グアラニー族が、
1000人たらずですが、生活しています。彼等は、生活の知恵を十分生かし、先祖の習慣を守り、自然を友とし、生活しています。
この地方の特徴は、土にあります。地層に鉄分を多く含んでいる為、鉄分のさびが、土地を赤く染め、美しい赤い土にしてくれています。空気が乾燥している日など、白いワイシャツは、淡いピンクに染めてくれます。真っ青な空、ジャングルの深緑、大自然のキャンパスに赤い絵の具で落書きしたような道。そこに立つあなた。コントラストがすてきです。


イグアスツアーご紹介
ブエノスアイレス国内線空港、ホルヘニューベリー空港(別名、アエロパルケ)より、フライトタイム1時間
45分でイグアス空港着。お天気の女神があなたへ微笑みかけてくれたら、大ジャングルの中に、もうもうとすさまじい水しぶきが見えてくる。イグアスの滝の水しぶきだ!
イグアス観光は、大きく分けて二通りに分けられます。一つは、ブラジル側から見る滝で、落ちてくる水(滝)を、下から眺め、空から、壮大な黄土色の水があたかもあなたへ向かってくる絶叫感を味わうもの。夏は、滝の洗礼を、気持ちよく受けましょう。冬は、手軽なかっぱを用意したほうが便利です。アルゼンチン側は、その反対。こちらは、川が最後の悲鳴をあげて、悪魔の喉笛(滝の名)へ、落ち込む姿が見られます。滝の底から、吹き上がってくる水しぶきが快感です!


イグアスでは、次のようなツアーを、ご用意しております。
アルゼンチン側滝観光(悪魔の喉笛行き、その他いっぱい

ブラジル側滝観光(ブラジルだって負けては、いません。)
サファリーゴムボートツアー(滝壷近くまで、ゴムボートに乗って、スリル満点
! )
ジェルバ農園見学(のどかです。ミシオネス州の農園)
イタイプ水力発電所見学(ブラジル側)
紫水晶鉱山ツアー(アルゼンチン側)
サンイグナシオ遺跡ツアー(アルゼンチン側)
サンバショー(熱い熱いサンバ。ナイトショー。ブラジル側)
グァラニー族コロニーツアー(アルゼンチン側)
イグアス満月の日ツアー(天候に左右されます。)(このツアーにご参加される方は、あまりいませんが、参加された方々のコメントでは、ダイナミックな滝が姿を消し、神秘的な滝に非常に感動されています。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<上記情報は、提携先である現地手配会社より提供されています>






カラファテ (EL CALAFATE)


パタゴニア
パタゴニアは、南アメリカ大陸の南緯40度付近を流れるコロラド川以南の地域をいいます。

アルゼンチンとチリの両国に跨っています。面積は110万平方Km² で日本の3倍にも達します

パタゴニアの観光地は全て、スケールも大きく素晴らしいですが、世界的に有名なペリトモレノ氷河は絶対、見逃せない観光地です。
カラファテ
Calafate  氷河観光の玄関口
ブエノスアイレスーカラファテ間:
2.726 Km.
200011月に カラファテの新国際空港が完成されたお陰で、以前約8時間以上必要だった移動時間も半分以下に短縮され、この地を訪れる観光客それ以降かなり増えています。


主な見所:
何と言ってもペリトモレノ氷河。世界中に氷河はありますが、この氷河は唯一まだ生きている氷河なのです。
他の氷河は死んでおり、つまり今後、溶けて小さくなる一方ですが、ペリトモレノ氷河はまだ流れているのです。
有名になった理由はもうひとつあります。この氷河がアルゼンチン湖をせき止め、二つに分かれた湖の水圧差の為、徐々に氷河が下部から削り取られ、
4~5 年に一度、真夏の月頃、数百トンの氷の山が凄まじい音を立てて、湖に落ちる映像は世界中に流れました。
近年は世界中の温度上昇が原因かどうか判りませんが、氷河の先端は対岸までとどかない為、この現象は
10年以上見られていません。
毎日
カラファテ から出ている定期観光は約時間の終日観光。距離はわずか 80Km. 程度ですが、徐行区間(最高時速40Km / h.)が多い為、片道約2時間は必要です。
現在舗装工事中の道が完成すれば、約
時間で行ける事とのこと。氷河に着く約Km. 前に、約時間のミニクルーズ船着場があるので、希望者ここで降ります。
クルーズに乗らないお客様はそのまま、バスでレストラン、休息所、等がある展望台へ。高さ
60m、延長5Km.にもおよぶ氷河の前に立つとまるで時間が止まってしまったように感じます。

昼食時間を含めた自由時間が約3時間あります。

その後、帰路へ真夏の期間は対岸へ渡り、氷河上を歩くミニトレッキングも出来ますが、準備が必要なので、最低
日前の事前予約が必要です。ウプサラ‐オネリ氷河、又はオール氷河観光。カラファテから車で約時間の船着場、プンタ ・バンデーラ から快適な遊覧船が出ています。
真冬の
月と月以外は年中運行。このツアーはモレノ氷河より数倍も大きいウプサラ氷河やオネリ氷河をクルーズで見学します。エイム氷河とエスペガシーニ氷河の末端を見学する為、約Km 森の中をミニトレッキングします。

原住民の壁画見学
(CUEVAS DE GUALICHO Y PUNTA BONITA)。約時間の観光。もしカラファテで半日の自由時間があれば、このツアーを是非お勧めします。パタゴニアに今から約1万年前住んでいたと言われる原住民の壁画が、カラファテから車で約 8 Km. の洞窟に保存されています。

観光シーズン
12月から月末までがピーク。以前は6月から月の間、観光客がいなかったので、休館するホテルも多かったですが、最近は冬でも訪れる観光客がいる為、閉めるホテルは少なくなっています。

                                                                                                                                                                                    

 

 

 

 

 









ウシュアイア  USHUAIA

パタゴニア
ウシュアイア USHUAIA : 世界最南端の町

ブエノスアイレス‐ウシュアイア間:
3.200 Km.

火の大地、フエゴ島の州都には直行便だと、ブエノスアイレスから時間40分で行く事が出来ます。海峡と山に囲まれたこの町は漁業基地、及びパタゴニア最大の工業都市として知られている他、南極ツアー、チリへのクルーズ、等の観光拠点でもあります。

主な見どころ

1) フエゴ島国立公園ツアー。
 約
時間でアンデス山脈の末端の雪解け水でできた透明な湖、強い海風の為、傾いたまま成長したフラッグツリー(旗の木)、ビーバーの生息地、等が見学できます。

2) 世界最果て列車。
 片道約1時間でフエゴ島の大自然を走るこの列車は昔、囚人を運んでいましたが、今は観光客や鉄道マニアの人気ものです。
1) のツアーと片道、コンビネーションするのが、時間的にも料金的にも一番、効率的です。

3) アザラシの島クルーズ。(通常、ビーグル水道クルーズで知られています。)
 
12回、(午前中と午後)運行しているこのクルーズは、遊覧船着き場から出発し、ビーグル水道沖の灯台まで行き、帰りにアザラシ (Lobo Marino) が生息する岩島を船上から見学後に海鳥が棲む島にも接近して帰路へ。約2時間のツアーです。

4) 世界の最果て博物館 (MUSEO DEL FIN DEL MUNDO)
 原住民の生活用具、探検隊の資料、等が展示されています。
外国からの観光客が訪れる最大の目的はパスポートに記念スタンプを押してもらう事らしいです。 ツアーもありますが、時間がある方は小さい町なので、通行人や警察に道を聞きながら歩いて行くのも面白いでしょう。

5) その他。
 時間があれば、マゼランペンギンの棲息を見学出来るアルベルトンツアー。
シベリア犬の飼育訓練所見学、
エスコンディド湖、チリのウイリアムス・ポートまでのヨットクルーズ、等、ウシュアイアは一年を通して、楽しめる町です。豊富なシーフードも魅力の一つです。

 

 

 

 

 

 

<上記情報は、提携先である現地手配会社より提供されています>









パルデス半島  PENINSULA DE VALDEZ


大自然動物園バルデス半島&プンタトンボ

州名:チュブト州
州都:ラウソン
面積:
224.686 Km²
人口:約360.000人  

バルデス半島への行き方
ブエノスアイレスより南へ、
1.383 Kmフライトタイム 2時間後、テレレウ空港着。その後、バスにて約40分。大西洋に向かった“でべそ”。ここがバルデス半島です。バルデス半島に、プエルト・マドリンと言う町があります。ホテルは、この町に集中しています。時間に余裕のある方は、バス旅行もおもしろいです。19時間の旅の途中には、夏は一面のひまわり畑、秋は黄金の麦畑、のんびりと遊んでいる牛などとの出会いも楽しいです。

バルデス半島には、何があるのか?
バルデス半島を一言で説明しようとした場合、この一言しかないです
! <大自然動物園>象あざらし、マゼランペンギン、イルカ、シャチ、鯨、など。
チュブト州。ここまで来ると、いかにアルゼンチンが広いか一目でわかります。果てしなく続く大草原は南に行くにつれ気温は下がり、雨も少ないため、(年間雨量
175 mm. )土壌がやせている。不毛の地” “地の果てと言われていたこの地方も、“Campaña del desierto" (1833) 略、無人地帯開拓 と言う政策がとられた時代がありました。しかし本当は、無人地帯では、なかったのです。そこには、原住民達の生活がありました。その為、移民ウエールズ人達と原住民達との間で激しい戦いがあった地でもあります。地の果てと言われたこの地も、今では人口360.000人になっています。

ツアーご紹介

バルデス半島ツアー
まずは、バルデス半島から行きましょう半島を回るには一日がかりです。歩いては、無理です。観光バスに乗りましょう。ガイドさんは、男性? 女性?ウエールズ人子孫と、原住民のハーフだと最高 青い目に真っ黒な髪、美人、ハンサムが多いとのうわさです
観光バスは、大草原の中を走ります。見渡す限りの黄色っぽい景色。道の真ん中に野うさぎや羊さんにも出会います。地平線をかけて行くダチョウにも出会えます。

海が左右に見えてきます。ここが でべそ の入り口です。左手に小さな島が見えてきた。おや? 島がゆれている。双眼鏡でのぞいて見ると、ワァー鳥だ鳥の山だ星の王子様の作者、サン=テグジュペリ さんは、とてもこの地を愛し、星の王子様 の物語の中に登場する 大蛇が像を飲み込んだような形の島は、この島がモデルになっているそうです。

ヌエボ湾へ到着。
この湾で一番有名な動物を知っていますか? それは、セミ鯨が赤ちゃんを産みに来る所です。
月の末より、12月の初め頃までに行ったら、セミ鯨に出会えます。お母さん鯨は、体長13~15m, 体重40トンもあります。ヌエボ湾にある、ピラミット港より、遊覧船に乗りましょう。いよいよ鯨さんとの出会い。わくわくします

エメラルド色の海に、黒い影。鯨の背です。鯨さんも歓迎してくれて、手で触れられるような距離まできたり、塩のシャワーを浴びさせられたり、急にいなくなったかと思うと、船の反対側から、にゅ-と頭を出したりしてびっくりさせられます。私達をからかっているかのようです。
プンタ・ノルテ、プンタ・デルガーダから眺める海の色は、心に残るすばらしいエメラルド色です。その浜辺でいつまでお昼寝しているの
? と言いたくなるぐらいのんびりしている象アザラシ達。もう片一方の海辺では、オットセイ達が重なり合うように遊んでいる。消えることのないさざなみの子守唄。ここの動物達は、幸せだなあーと感じるでしょう。

プンタ・トンボツアー
ここは、マゼランペンギン達の天国です。大草原の中、砂利道が何処までも続く。太陽は地平線よりのぼり、地平線へ沈む。まるで、地球の丸みが見えるような錯覚。急に地形が変わり、ゆるやかなジェットコスターの道に入る。山のてっぺんに何かがいるぞ
? グアナコの群れだ。アメリカダチョウも姿を見せてくれた湿っぽい風。うーん、この匂いはなに? すると突然、大西洋との出会い。
この海辺が、ペンギン村です。右を見てもペンギン、左を見てもペンギン。約
50 羽いると言われている群れ。想像できますか?! 正装したペンギンさん達の大パーテイー。さあー私達も参加しましょう最近、ペンギンさん達も住宅難で、海より遠くの地まで、お家を建てています。(毎年ペンギンの数が増えているそうです。)朝、赤ちゃんペンギンのための食事を海に探しに行く為、行列を作り海へ向かいます。行列の時は、立ち止まり、じゃまをしないのが、エチケットです。あのジェットコスターの道で匂ってきたのは、ペンギンさん達の匂いでした。
ペンギン村へは、
月の末より、月の初め頃に行ってください。その他の時期は、海へ遊びに行っていてペンギンさん達は、お留守です。一人も留守番しているペンギンさんは、おりません!!!

ガイマンツアー
ペンギン村からの帰り、ぜひガイマン村を訪ねてみましょう。この村は19世紀の半ば頃、この地方に移住したウエールズ人達が築いた村です。故ダイアナ妃もアルゼンチン訪問の際、立ち寄られた村です。荒れた大地におしゃれな喫茶店があり、そこでいただくイギリス風テイーは、最高です。又、手作りのクッキー、ケーキなどもぜひお試しください。

パタゴニアは、恐竜の発掘で有名です。興味のある方は、ぜひ、古生物博物館へお立ちよりください。
MUSEO PALEONTOLOGICO EGIDIO FERUGLIO 住所: 9 de Julio 655

 

 

 

 

 

 

 

 

便利情報
服装=パタゴニアの気候は、一日の気温の差がはげしい。服装もこの点に注意したほうが良いです。
例えば、初めにTシャツ、次にセーター、その上に冬の上着。暑くなったらTシャツで少々寒くなったら、セーターを南極からの風が吹いてきたら、冬の上着を着ましょう。つまり、玉葱式が一番無難(季節により
1日で四季を味わうこともある。)また、パタゴニアは”風の国”とも呼ばれています。サングラス(風の強い日は、砂が舞い上がる。)ぼうし、ネッカチーフなどリユックに入れていきましょう。靴は、もちろん歩きやすい運動靴。
便利=持って来ると旅がもっと豊かになるもの。望遠鏡。ツアーがはじまると街角にコンビニと言う感じではないので、ちょっとした食べ物、ミネラルウォーターなど、もっていくと便利。売店はありますが、品物がそろっていません。夏は水着も便利です。

<上記情報は、提携先である現地手配会社より提供されています>